日本人と貯蓄

日本人と貯蓄の関係を考える

日本で貯蓄が始まったのはいつ?

10月17日は「貯蓄の日」だそうです。正直のところ、知りませんでした。1952年(昭和27年)に「日本銀行貯蓄増強中央委員会(現在の金融広報中央委員会)」という長ったらしい名前の機関が制定したものです。収穫物を神様に感謝して供物として捧げる「神嘗祭(かんなめさい)」という行事に因んだものと言われています。「勤労の収穫物であるお金を大切にして、貯蓄に対する関心を高め、貯蓄増進を図る」という意図の為に制定された記念日ですが、それは国の財源の確保のためでもありました。

現在のように、金融機関にお金を預けて貯めるという方法がなかった時代には、自分で壷などを利用してお金を入れて貯めていたようです。室町時代のものと思われる壷が出土されたとき、その壺の中に小銭が入っていたということです。

江戸時代になると、徳川家康によって貨幣制度が制定されました。そのために商業が盛んになり、お金持ちも増えてきました。盗難を恐れた彼らから、手数料を受け取って預ったり、それをもとに高利で他へ貸し付けをする業者が現れるなど、今の金融業の元が生まれた時期でした。しかしこれらはほとんどが武士や商人を相手にするものでした。農民など一般庶民は、やはり壺に入れて土間の下などに隠していたようです。そのうち米を担保にしてお金を貸し借りしたり、小金を持ち寄る「頼母子講」や「無尽講」と言われる協同組織ができ始めました。それが現代の信用金庫などの前身だと言われています。しかし「江戸っ子は宵越しの金は持たない」という言葉があるように、こそこそお金を貯め込むのは粋ではない、という風潮もあり、貯蓄するという意識を持った者はあまりいませんでした。

やがて明治になって郵便制度ができ、政府は郵便貯金制度を導入して、国民に貯金を奨励しました。それでもなかなか国民に貯蓄するという概念は定着しなかったようで、しかたなく金利を大幅に上げてみたりもしていたようです。やがて太平洋戦争に負けた日本は、その戦後復興のための資金を確保するために「救国貯蓄運動」を展開。昭和20年には「戦後ニ於ケル国民貯蓄増強方策」が制定され、政府は国民に対して貯蓄に励むように積極的に指導教育しました。戦費に充てるためにやたらに発行し買わされた国債に対して、人々は敗戦後にいっせいに換金に走ったのです。それに対応する為に日銀は紙幣を増刷しました。工場などは破壊されていたので、お金はあってもモノの生産はできず、戦後は強力なインフレに陥りました。その市中にあふれたお金の対応策としても、貯蓄は有効手段だったのです。

やがてインフレが落ち着いた後も、経済の発展のため引き続き財源としての貯蓄が必要として、大蔵省や日銀が主導して強力に貯蓄を推進してきました。そうした政府主導の「貯蓄は美徳」という思想は、日本人に浸透し、貯蓄率を驚異的に引き上げ、「日本人は貯金好き」という印象を世界中に植え付けることになったのです。